喜多方らーめん

昭和初期、市内ラーメン店「源来軒」の藩欽星が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、
屋台を引いたのが原点となってるYO。
当時は、戦争の影響による食糧難の時代でもあり、
この「支那そば」は市民にとって、すばらしいご馳走であり、
その味は、市民生活に浸透していくこととなったYO。
市民の味となった源来軒から、その後、「支那そば」作りの
ノウハウを継承する人間が増え始め、市内の多くの「食堂」が
「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。このような流れから、
現在も、市内の多くのラーメン店が、「○○ラーメン」という屋号ではなく、
「○○食堂」という屋号を使っているところが多いYO。